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カルチャー

★白岩薮ノ上遺跡で出土した旧石器時代の局部磨製石器が表紙を飾った富山県埋蔵文化財センター刊「埋文とやま」(2018.9.30発行)です。出土品に関してページ内の記述はありません。

 

★2019年5月27日の北日本新聞には、同じく発掘された楔形(くさびがた)石器についての紹介がありました。気になる方は、ご自分で検索をお願いします。

白岩集落には尾掛(おかけ)遺跡も存在し、縄文時代早・前・後期の土器、耳飾りなどが採集されています。

★一方で消滅した遺跡もあります。古高遺跡は、縄文時代中期の住居跡1棟が確認されましたが、北陸自動車道建設にともなう採土によって姿を消しました。

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★黄金(こがね)松の五輪塔

 

武将たちが支配していた、中世と呼ばれる時代の石造遺物が白岩集落にも存在しました。黄金松五輪塔は、千垣集落の五輪塔と同じくバン(金剛界大日)の文字が彫られています。

​五輪塔は、主に供養塔・墓として使われる塔の一種で、五輪卒塔婆とも呼ばれます。一説に五輪塔の形はインドが発祥といわれ、本来舎利を入れる容器として使われていたとされますが、インドや中国、朝鮮に遺物は存在しません。

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★白岩川改修と船便

 

白岩川の河道は栃津川と合流後、蛇行を繰り返し、洪水のたびに出水して周囲の集落に被害を及ぼしたため、明治41年(1908年)に直線化の改修工事が行われています。改修前の旧河道は現在、富山市、上市町、舟橋村の町境として名残をとどめています。大正時代初めまでは舟橋村を結ぶ船便があり、米や海産肥料などを陸揚げしていたとの記録があります。(参考/富山県舟橋村仏生寺城跡発掘調査報告)

出典:「立山山麓のむかしむかし」

★地層は手取層群

今から約1億2000万年前の富山県は、まだ大陸の一部で、温かく湿った環境の中で、多くの恐竜たちが生息していました。この時代の地層は手取層群とされ、旧大山町に広く分布し、中には多くの恐竜足跡化石が発見されている場所もあります。地層は白岩川上流部にも分布し、植物化石を採取できるところもあります。(富山県総合教育センターHPより引用)

★正恩寺が小学校教室に

 

平成14年をもって廃校となった旧谷口小学校(現谷口集学校)は、明治9年、白岩の正恩寺で開校されました。同12年から安楽寺に移り、同17年から谷口集落へ。京大名誉教授・京都産業大学学長であった柏  祐賢(かしわすけかた)氏が作詞し、昭和23年に制定された校歌の2番は「しぶきとぶ川 白岩に 朝な夕なに ひびく鐘 なぞを秘めたる大自然 究めよ 究め みな共に」でした。(参考/谷口小学校百周年記念誌)

★もう一つの「白岩」

 

平成21年に国の重要文化財に指定された白岩砂防堰堤(えんてい)。この「白岩」の由来は、右岸側が花崗岩で白かったため。白岩集落や集落出身者との関わりはないとみられます。堰堤工事計画は大正15年からでした。昭和4年に工事を始め、同14年に完成しました。

★白岩公民館に”珍”あり

 

ある意味、文化遺産ともいえる日本電信電話公社(現NTT)の「東谷自動電話交換室」跡を公民館横に見ることができます。住民の暮らしを支えた昭和の遺構がひっそりと佇んでいます

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